【胡蝶蘭の歴史】胡蝶蘭はどうやって日本に広まっていったのか?

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お祝い事で見かけることの多い胡蝶蘭ですが、胡蝶蘭の歴史について知っている人は少ないかもしれません。

そもそも胡蝶蘭の自生地は、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、パプア・ニューギニア、など赤道付近の霜や雪の降らない暖かい地域で、日本には自生していない植物でした。それが今では、お祝い事の定番として贈られる花にまで定着しています。
では胡蝶蘭がいつ頃日本に入ってきて、どのように広まっていったのでしょうか。

そこで今回は、胡蝶蘭の歴史について紹介したいと思います。


胡蝶蘭が発見されたのは、いつ?


まず胡蝶蘭が最初に発見されたのは、1836年と言われており、今から200年近く前のことになります。胡蝶蘭といえば、上品な白色の花を思い浮かべるかもしれませんが、胡蝶蘭の原種はほとんどが色や模様が入っているものばかりで、白色のものは1~2割程しかありません。

そこでより綺麗な花をつくるために、品種改良も行われることになります。品種改良は、発見から50年後の1887年にはじまりました。


そして胡蝶蘭が日本に入ってくる


日本へは、明治時代にイギリスから入ってきたと言われており、今から約100年前のことになります。入ってきた当初は高価であり、庶民の手に渡らない花でした。

しかし温室などの設備の発展と共に栽培技術が向上したため、日本でも積極的に栽培しようとする農家が増え、一般市民の間にも胡蝶蘭が浸透していきました。
また、明治の末期に入ってきた花は、栽培技術が向上していたため、品種改良も盛んに行われるようになっていました。この頃には、白色、ピンク、筋花など綺麗な花色の胡蝶蘭も少しずつ増えていました。

このように設備の発展で比較的簡単に胡蝶蘭を生産できるようになったこと、品種改良で綺麗な花が増えていったこと、この2つが日本で胡蝶蘭が流行っていった要因と言えます。


栽培技術はさらに進化


現在では、生産方法もさらに発展し、メリクロン栽培という方法で新しい株を安定的に増やしています。メリクロンとは、新しく伸び掛けた芽の中から生長点を取り出し、無菌の培養基の中で増やす方法です。これは、オリジナルの胡蝶蘭のクローンをいくつも作り出す技術です。

この生産方法は、同じものを安く作れるため、品質のいい胡蝶蘭を安く生産できる技術として、現在ではこのクローンを生み出す方法が胡蝶蘭生産の主流となっています。
現在の胡蝶蘭生産は、ちょっと想像もつかないくらい驚きですよね。

いかがでしたでしょうか。
今回は、胡蝶蘭の歴史を振り返りながら、どうやって日本に普及していったのかをご紹介しました。胡蝶蘭は、生産技術の発展と共に普及していきました。
今後も品種改良が進み、より綺麗な花、より長持ちする花がどんどん生まれてくるでしょう。そして技術の発展と共に安定した供給が行われ、さらに普及していくことになると思います。

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